野 上 邸 [Nogami House]
野上家は、江戸時代の末期(安政3年)より山林地主としてこの地を中心に幅広く林業を営んできました。
屋敷の横を流れる隈の上川の向いからは、大きな石積みの上にその佇まいが一望できます。
母屋の建物に足を踏み入れると、スス竹の高い天井、大きな梁、板戸、襖などが昔のままに保たれています。
耳納山中を流れる新川・隈上川(筑後川水系)に沿って、野上邸が所在する新川・田籠(にいかわ・たごもり)地区(うきは市)はあります。この地域には、福岡県で最初の国の重要文化財に指定された『平川家住宅』をはじめ、今でも多くの茅葺民家が残っていて、2003年の調査では、茅葺の構造を残すものを含め、今だ約100棟もの茅葺民家が現存しているがわかりました。特徴的なのは屋根の形がバラエティーに富んでいるところで、この狭い地域の中に、寄棟の平屋、鍵屋、一部二階、総二階、クド造りなど、実に多彩な屋根を見出すことが出来ます。さらには、棚田百選にも選ばれた『つづら棚田』を内包し、まさに『日本の原風景』ともいえる美しい景観を今に伝えているのです。
そんな新川地区に位置する『野上邸』は、徳川時代、有馬藩所有山林の管理役『山守り』という歴史を持ち、山林とはきわめて縁の深い家柄でした。。川の対岸から見る野上家はまさにお屋敷、重厚な佇まいです。川に沿って石垣が100mほど連なり、その上に安政年間に建築された主屋、明治と昭和に増築された離れが二棟、さらに土蔵、味噌蔵、納屋など、実に多くの付属屋が軒を重ねています。
安政3年に建てられたという主屋は、桁行8.5間、梁間4.5間(6尺5寸間=1970mm)に、2.5間真角の座敷(次の間)が飛び出した鍵屋(鍵屋)となっています。基本的には四ツ間取り平面(全面に御前、次の間に座敷が鍵屋となり続き、背面には台所と納戸)となっていますが、目を引くのは何と言っても15畳ある御前(ごぜん)ではないでしょうか。頭上に黒光りする重厚な松の梁丸太が二重に組まれ、その上を長年燻された飴色に光る簀子(すのこ)天井が覆っています。この天井は、径3.5cmほどの真竹(まだけ)を丸のまま並べ、ムシロを敷いた上に8cmほどの土が載せられた大和(やまと)天井と呼ばれるものです。また、6.6寸の大黒柱、それに差される1尺5寸(約45cm)もの成がある松の差鴨居(さしがもい)など、力強い構造美とともに当時の勢望を感じさせてくれます。
主屋の屋根は現在トタンで覆われていますが、それを外せば杉皮葺きの屋根が現れます。この地域にトタンを被らず現存している茅葺も皆、杉皮葺き屋根です。乾いても生息可能なヒゴケと言う苔に覆われた緑色の屋根は、文字通り『草庵』と言った趣で、筑後川流域ならではの美を醸し出しています。皆さんにとって馴染みが薄いと思われるこの『杉皮葺き』についてもう少し深めてみたいと思います。
この地域の屋根は、もともとススキか小麦藁で葺かれていました。ところが農業の近代化、戦後急速に進んだ拡大造林などにより、茅場は次第に姿を消していきました。一方、昭和二十年代後半より、戦後の住宅不足を解消するために杉が大量に伐採され、これにより杉皮が有り余る時代へと変遷します。杉皮はそれまで貴重な素材として重宝され、その使用は限られたものでした。耐久性に優れ、しなやかである特性を活かし、屋根の谷や棟ていった傷みやすいところを長持ちさせるための補強材として、また、屋根の下地材として使われていました。ところが昭和二十年後半から三十年代にかけて、後述する『杉の削り皮』という素材は、廃棄されるほど大量に産出されるようになります。そこへ、傷んだ葺き重ねという画期的な方法が、日田や天ヶ瀬地方からこの地域へともたらされたのです。それは茅葺より長持ちするという付加価値もついていました。当時、一気に広がったのは想像に難しくありません。杉の削り皮は、戦後復興で資源が不足して時代に屋根を覆う材料として、耐久性と経済性を兼ね備えた素材であったのですから、お隣の星野村に杉皮葺き民家が多くみられるのも、同じような経緯を辿ったものと思われます。もともとはススキで葺かれた野上家の主屋が、杉皮葺きへと姿を変えたのもまたこの時期でありました。
トタンの下にある『野上家住宅』主屋の軒先は、まず一番下に杉皮の丸剥ぎを三、四枚重ねて下地とし、その上に麦わらを分厚く葺き、さらに茅の幹だけを集めて葺き重ね、最後に杉の削り皮を十数枚重ねるという四層仕上げとなっています。杉の丸剥ぎ皮は、四月初旬から九月中旬までの樹液の流動期間中に採取します。この時期の杉皮は乖離しやすく、特殊な『へら』のような道具で幅広のまま綺麗に剥ぎ取ることができます。今でも数寄屋造りなどの建築材料として使用される高級品なのですが、採取時期が悪いため虫がつきやすく、管理に注意が必要です。一方、杉の削り皮は、十月中旬から翌三月初旬までの樹液停止期間に採取します。この時期は皮が貼りついて剥がれにくいため、専用の特殊な鎌で削り取ります。虫のつきにくい時期の皮ですがね幅が狭く長さも短く不揃いなため、建築用材などに使用できず、山に廃棄されていました。それが茅の代用品として有効利用されるようになったのです。
茅葺きより遥かに耐久性の高い、丈夫で風流な杉皮葺き屋根の歴史は、残念ながら長くは続きませんでした。トタンと呼ばれる鉄板屋根が普及したためです。しかしながら、この屋根は戦後30年間、杉の量産で繁栄した時代の象徴であり、この地域独自の農村景観をつくりあげた遺産であると言えます。さらにそれは、環境や景観の保全が重要な課題となっている今日、自然素材を活かす知恵と技術の結晶として、私たちに数多くのヒントを与えてくれているのです。先人の知恵と工夫に溢れたその空間には、訪れる度、新たな発見があります。野上邸を訪れる際には、この醍醐味をぜひとも味わっていただきたいと思います。
文責 : 杉岡世邦
(NPO法人日本民家再生リサイクル協会理事/ 九州沖縄地区運営委員長/第五期九州民家塾塾長/杉岡製材所専務取締役)